波乗りクリニック

一般内科・心療内科・在宅医療

悪夢のようなセンター試験2日目

約 1 分

九工大 誰しも忘れられない日というのがあります。いい日だったり、悪い日だったり、様々です。

 あれは忘れもしない1990年1月13日の夜、センター試験1日目が絶好調で終了し、ハイテンションで帰宅しました。

 食事・入浴後に、疲れが出たのか生あくびが出始め、吸い込まれるように、(たぶん夜の9時くらい)に寝てしまったと思います。

 吐き気で目覚めたのが夜11時過ぎです。天井がぐるぐると回ります。私は小さい頃から、疲れがたまると回転性めまいと嘔吐がでます。よりによって、こんな大事なときに出てしまったのです。それから翌朝まで、トイレや寝室で嘔吐し続けました。こんなにひどいのははじめでした。本当に泣きそうで、嘔吐よりも何よりも、これまでの苦労が水の泡になってしまうことが悔しくて泣きました。

 センター試験には事情により受験できなかった人の救済措置として「追試験」があります。

 追試験は受けられるのだろうか?診断書をもらうために病院に行かなければならないのだろうか?病院受診して追試験が受けられなかったらどうしよう。追試験の会場は確か関東1箇所だった?もう1箇所あったかな?…。等々、いろんなことが、嘔吐しながらも頭をよぎります。

 1月14日朝、(7時くらいでしょうか)、症状が落ち着いてきた私は居間のこたつに移動し、ぼんやりとテレビのニュースを観ながら逡巡していました。2日目の試験を受けに行くべきか?それとも病院受診して、追試験にかけるべきか?

 ニュースではセンター試験の前夜にガスストーブの事故で亡くなった受験生について、詳しく報じられていました。
 自室で勉強しているときに、何らかの原因でストーブの火が消え、そのままガス中毒症で死亡してしまったようです。非常に痛ましい事故でした。その亡くなった高校生は試験すら受けられないのです。
 振り返って我が身はどうでしょう。めまい・吐き気・睡眠不足でぼろぼろですが、まだ私は生きています。結果はどうあれ、死ぬ気で行けば会場まではたどり着けます。

 私は試験を受ける決断をしました。よろよろと歩きながら寒い中、試験会場に歩いて向かいます。試験会場が近いのも幸いし、なんとかたどり着くことが出来ました。乗り物酔いもしやすい体質だったので、もしも歩いて行ける会場でなかったら難しかったかもしれません。

 たんたんと試験をこなし、這うようにして家路につき、泥のように眠りました。

 翌朝1月15日、世間は成人の日で浮かれ、テレビはそれを報道しています。私はそれを尻目に新聞の模範解答で答え合わせをしました。信じられないことに、よれよれで受けた社会科(倫理・政治経済)は初めての満点です。
 トータルでも、今まで受けてきた模擬試験や前年までの共通一次試験の中で、自己最高得点がでました。無駄な力が抜けたのが良かったのでしょうか?
 アレルギー性鼻炎対策の抗ヒスタミン剤を飲み忘れて、頭の回転が良くなったのかもしれません。まだ若く、体力もあったのかもしれません。

 バスに乗って予備校に行き、自己採点結果を報告して小倉の繁華街を抜けて帰ります。途中で成人式帰りの楽しそうな同級生に会いました。飲みに誘われましたが、こちらはそれどころではありません。2次試験に向けて全力疾走です。誘いを振り切って帰宅しました。

 いまでも苦しいことがあると、あのときのことを振り返ります。センター試験を受験出来ずに亡くなった、その高校生の分もがんばって生きぬき、医師として仕事に励まなくてはならない、と思うのです。