波乗りクリニック

一般内科・心療内科・在宅医療

「茅ヶ崎に背を向けて・上」

約 1 分

「内科」・「在宅医療」・「心療内科」の三本柱を掲げて「波乗りクリニック」を開設し、3年以上が経ちました。

印象的なクリニック名のためか、初診患者のみならず、医療関係者の方もでも、「浅黒くて、茶髪だか金髪だかのサーファーっぽい院長像」を思い浮かべているようです。実際にはスタッフの誰よりも色が白く、チョットぽっちゃりしたのが私です。初対面の時に「えっ!想像していたのと違う!」という感想を口にされることもしばしばあります。それでも「先生はサーファーですか?」と食い下がってくる人もいますが「見た目の通り、残念ながらサーファーではありません」とお答えしています。ただ、最近はあまりにも同じことを聞かれるので、私の方も飽きてきて、相手によっては「実はこう見えてサーファーなのです!」などと、適当に答えて煙に巻いてしまいます。そんなとき、後ろで笑いをこらえているスタッフがいます。

次によく聞かれるのは「名前の由来」と「なぜこんな場所で開業を?」という2点です。これまた真剣に回答するか、その都度適当な答えではぐらかすか迷うのですが、最近はいい加減に疲れてきたので、フレッシュマンコーナーであるのをいいことに、ここで説明しておこうと思います。

私は平成10年に山口大学を卒業し、総合診療医を目指して、福本陽平 教授(当時)の主宰する同大総合診療部に第一期生として入局しました。

最初の2年間は同大附属病院の全内科でローテート研修しましたが、当時は今のように制度化されておらず、すべてが手探りで、指導する側もされる側も困難が多かったように思います。研修終了後は、同大学公衆衛生学教室で産業衛生、医療統計について学び、途中には島根県立中央病院総合診療科に赴任して、一次~三次ミックスの救急外来で鍛えられ、そこからの代診医として、僻地の診療所に勤務する等の貴重な経験をしました。

今から思うと、まるでピンボールの球のような動きをしていたのですが、その後は母校の総合診療部に戻り、しばらくは腰を落ち着けて助手(助教)として一般内科外来と学生教育を担当してきました。特に終盤は医学教育センターの専任教員として、診療はほとんど行わず、学部教育に専念することになりました。教育プログラムに関わったり、引きこもりの学生に関わったりと、様々な業務があり、医療職ではありませんでしたが、大変良い経験になりました。(この経験が今の心療内科診療に活かされているように思います)

さて今回、「在宅・訪問診療に軸足を置いた診療所」を開設したわけですが、上記の経歴からは在宅医療との関わりは見えてきません。私と「在宅医療」が結びつかないわけですが、実は大学卒業直後、医師免許を取得して実に2週目から、岩国市の「いしいケア・クリニック」で非常勤医として毎週欠かさず訪問診療を続けてきています。特に開業直前の一年間は常勤医として毎日岩国まで新幹線通勤をして、訪問診療のノウハウを勉強しました。

研修医の頃から週に一度の訪問診療が楽しみだったのを思い出します。(当時は今と違い、研修医のネーベンアルバイトは許されていました。)

「茅ヶ崎に背を向けて・中」へ続く…