波乗りクリニック

一般内科・心療内科・在宅医療

「こうりょう」発行

約 1 分

kouryou_01 現在私が勤めている高嶺病院(アルコール依存症治療専門病院)の同窓会新聞「こうりょう」第13号が、発行されました。(アルコール依存症回復者の同窓会です)
 私も「アルコールと私」というタイトルで寄稿し、その原稿の転載許可が下りました。以下、「こうりょう」から抜粋です。

 「アルコールと私」 医師:小早川 節
 「男はつらいよ」の寅さん流に言うならば、「わたくし、生まれも育ちも北九州は戸畑です。バプテスト派の牧師館で産湯を使い、姓は小早川、名はセツ、人呼んで…」。
 1960年代末のことです。文字通り産婆さんが我が家に来訪し、私を取り上げました。ちなみにその部屋は、私が中学に上がるまで寝起きする場所になりました。小学生の時に同級生に聞いてみたところ、ほとんどは産婦人科医院で生まれていたようなので、私は自宅出産の最後の時期だったのかもしれません。
 さて、意外なことですが、仏教と違い、キリスト教ではアルコールは原則として禁止されていません。むしろ聖餐式と言って、月に一度の重要な儀式の際は赤ワインが用いられます。2000年前の中東~ヨーロッパでは、取り置きした水は不衛生で飲めた代物でなく、ワインやサイダー(発泡酒)が水代わりに飲まれていたようです。もちろん下戸の遺伝子を持った人は、彼の地にはほとんど居ませんでした。ちなみに赤ワインは「キリストの血」を象徴するものです。その聖餐式の準備をする名誉ある役割は、順番に3人の兄の仕事となり、最後は中学生になった私に引き継がれました。
 父が飲酒を忌避していましたので、酒屋から配達された赤玉ポートワインは口を開けて数日から数週のあいだ空気にさらされ、ほとんどブドウ汁となりました。お猪口より一回り小さいグラスが、聖餐にあずかる人数分に満たされ、銀器の中の白いビロードのくぼみに収まって、日曜の朝日に輝く様子は非常に美しいものでした。
 聖餐式の後の午餐では、決まって体中がほてり、気分が悪くなりました。普段無口な人が陽気にしゃべることもありましたので、おそらくアルコールが飛びきれずに残っていたのでしょう。私は理由を付けて聖餐式をさぼるか、ワインを飲んだふりをしてごまかしました。途中からグレープジュースを用いるように代えてしまったので、一部の信徒からは苦情が出ました。ちなみに、現在は聖餐用のノンアルコールワインがあるので、飲酒運転の心配はありません。
 大学に入り、私を待ち受けていたのはアルコールの洗礼でした。先輩に飲まされ、倍返しでその先輩のアパートに吐物をぶちまけ、また別の先輩に飲まされ、3倍返しで先輩の愛車の内外に吐物をぶちまけました。先輩方は私に対する悪意はなかったでしょう。「コミュニケーションの一環だ」と。「焼酎を飲まなければ男ではない!」といった趣旨のテレビCMが流れていた時代ですから、想像もつくと思います。(今ならアルハラ&セクハラで、放送禁止ですね)
 高嶺病院の常勤になってしばらく、ふと思い立ち、自分の遺伝子検査をしてみました。「アルコール」という毒物は体内に取り込まれた後、「アセトアルデヒド」というさらなる「猛毒」に変わり、最後はほぼ無害の「お酢」に解毒されます。私の遺伝子では、「アルコール」から「アセトアルデヒド」に変えるスピードは速く、その一方で、猛毒の「アセトアルデヒド」を解毒する能力に乏しいことがわかりました。このタイプの遺伝子を持った人が飲酒した場合、いわゆるお酒に強い人たちの何十倍も「様々な癌」になりやすいことがわかっています。
 医師という仕事は様々な会合があり、「全く飲まない」というのは場の雰囲気を悪くするため、これまでは二日酔い覚悟でアルコールを服用してきました。(ちなみに私の場合は一次会が終わる頃に酔いが覚めて、今度は頭痛が出現します。)
 癌になるのは私の信念として、さして怖いことではありませんが、さりとて体に悪いとわかっていることを医師自らが実行するのは、プロ意識に欠けるようにも思います。そういったわけで、「つきあいの酒」をやめました。私とアルコールのつきあいは「殺菌消毒」を通してのものになりそうです。差し詰め「毒をもって毒を制す」といったところでしょうか。
 さてその一方で、私と正反対に「アルコールの分解」が遅く、「アルデヒド」の解毒が早い遺伝子を持った人たちがいます。飲酒するとほろ酔い気分が続き、二日酔いになりにくいためお酒に強く、「アルコール依存症」を発症しやすいのが、この遺伝子タイプです。この疾患は問題行動に結びつき、性格や人格の問題と思われることもありますが、これは不整脈や胃潰瘍などと同じで医学的な「疾患」です。(不整脈や胃潰瘍患者の人格が非難されることは、まずありませんよね。)
 アルコール依存症の人も「酒毒」が抜けてしまえば、まことに気の良い人が多く、尊敬できる人物に出会えることもあります。アルコール依存症は適切な医療機関にかかり、周囲の理解が得られ、また患者本人も自分自身を客観的に認めて自分を支えることで「寛解する」病気です。
 実は、医療従事者ですら(アルコール問題に関わった経験がなければ)、このことをほとんど理解していません。そのためか「アルコール依存症」に対する偏見は根強く残っており、このことが専門医療機関への受診を妨げていると言われています。国内推定患者80万人のうち、原稿執筆時点で専門医療機関受診歴のある人は約4万人(数パーセント)にすぎません。「アルコール依存症」は決して恥ずかしい病気ではなく、それと真剣に取り組まないことこそが問題です。
 私はアルコール医療の専門家ではありませんが、「一般医・かかりつけ医」の立場で地域医療を行いながら、広くこのことを世に知らしめていきたいと思います。