波乗りクリニック

一般内科・心療内科・在宅医療

「使い分け」

約 1 分

新聞私の母は、ものを書くのが好きな人でした。

昼間は幼稚園の仕事がありますから、書くのは夜、皆が寝静まった後です。

思えばあれが、母が一人になれる唯一の時間だったのかもしれません。

詩や随筆、その他、誰に見せるわけでもない文章を夜な夜な書いていました。

夢想家で、いつも夢見ているようなおばさんでしたが、時には現実的なこともやってのけます。

その一つが新聞の読者欄への投稿でした。

いまはどうかわかりませんが、私が高校生の頃、投稿が一つ採用される毎に三千円の図書券がもらえていました。

何の目標もない物書きは、何にもならないと思ったのかもしれません。

母はせっせと新聞への投稿を続けました。

その甲斐あって、時々母の投稿が採用され、我が家には時々三千円の図書券が届けられるようになりました。

当時、採用される「こつ」を聞いたことがあります。

それは、「新聞の思想に合うように書く」という、実にリアリスティックな答えだったのです。

当時、我が家ではつきあいで、朝日・毎日・読売の三紙をとっていました。(その当時、九州には産経新聞がなかったのですね)

まだ、朝日新聞がクオリティペーパーと錯覚されていた、そんな牧歌的な時代でした。

その中で、母は朝日新聞には「左翼的な内容」を、毎日新聞には「やや左寄りかつ胡散臭い内容」、読売新聞には「愛国的な内容」で、二枚舌・三枚舌を使い分けて、それぞれ投稿していました。

新聞三紙を使い分け、手玉にとっていたわけですが、いまでも母の本心が何処にあったのかはわかりません。

我が母ながら、天晴れというか、したたかというか、半分あきれてみていた私ですが、その図書券は私の参考書に化けました。
その参考書で私は勉強して医学部に入った訳なので、私も事後共犯ということになり、何にもいえないのですが…。
(突き詰めると、波乗りクリニックは、母のインチキ投稿がなければ存在していなかった可能性があります…。)

幼稚園の経営という、ある意味リアリスティックな考え方を必要とする仕事をしていた母ですが、本業の方では理想論を追いかけて幼稚園をつぶしてしまいました。しかし、自分の趣味の世界ではリアルに物事を考え、なりふり構わない姿をさらしていたことになります。

もしかすると、「物書き」としての母が本業で、「経営」が副業だったのかもしれませんね。