波乗りクリニック

「視覚障害」と「聴覚障害」

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約 3 分

ベイツ教授の受難「話し手」は周囲がやかましいと、自分のメッセージの理解度が低下するのを防ぐために声を張り上げます。

これを「ロンバール反応」といいます。

周囲がやかましいだけでなく、「話し手」自身の「聴力」が低下しているときにも同じように声を張り上げるようになります。

耳の遠いお年寄りが、大きな声でしゃべっているのを聞く機会があると思いますが、裏を返せば、声の大きなお年寄りは「耳が遠い可能性がある」わけです。

さて、加齢に伴って体には少しずつ衰えが生じてきます。部位によるのですが、すでに20代後半をピークに様々なことが衰えを見せ始めます。

「筋力低下」もそうですが、「視力低下」や「聴力低下」はその人のQOLを極端に悪くします。認知症を加速させるとも言われています。

「視力低下」の場合、たいてい周囲の人は親切になります。もともとの視覚障害がある人、白い杖を持っていたり、盲導犬を連れている人を見かけると、どんな人でも道を譲り、なんとかその人の力になってあげようとするのではないでしょうか?(普段は意地悪な人でも…。)

人が受け取る情報の8割は「視覚」から入ってきますから、「視覚障害」のある人はとても大変だと思います。それをみんなわかっているのです。

しかし「聴覚障害」の場合はどうでしょうか?

耳の遠いお年寄りと接するとき、最初は何とかコミュニケーションをとろうとして大声を張り上げます。

ところが、会話が長時間にわたると、話しかける方も疲れてきます。当然です。

いきおい、会話が面倒になり、話しかけなくなります。

話しかけられなくなったお年寄りは文字通り、昔風で言うところの「聾桟敷(つんぼさじき:注)」状態となり、とどのつまり、仲間はずれになってしまいます。
(注:これは差別用語っぽいので、あまり使いたくないのですが、今回はごめんなさい。)

そんな、「難聴」を抱えた、とある初老教授にまつわる「老い」と「死」の悲劇を描いた「ベイツ教授の受難」。

長編なのでなかなか、一気に最後まで読み通す時間が確保できず、「途中まで読んで、数ヶ月してまた最初から読む」を繰り返しています。

もしかして、私も老化が始まっているのかも?

 

出版社からのコメント
《「難聴」の教授を見舞う悲喜劇》
 主人公ベイツは言語学の元大学教授で、難聴のため早期退職し、ときおり、やはり難聴で認知症の父親の家を訪問している。ベイツが再婚した妻のフレッドは、自営業で成功し、会話もままならぬ夫は、妻の「付属品」のような存在だ。
 ベイツは女子学生アレックスの論文指導をすることになったが、彼女の色仕掛けにうんざりしてしまう。しかもテーマが「自殺の遺書」分析なので、なおさらだ。夫婦仲もますます冷えていき、何をやっても失敗ばかり……。
 そんな中、ベイツはポーランドへ講演旅行に出かけ、アウシュヴィッツを見学して衝撃をうける。ちょうどそのとき、妻からの電話で娘が産気づいたことを知らされる。そしてその直後、息子から祖父が倒れて入院したと連絡をもらう……。
 人生の盛りを越えた難聴の主人公ベイツ、老いて一人暮らしの父親、虚言癖のある女子学生など、一筋縄ではいかない登場人物たちが物語を盛り上げる。本書は、読者をおおいに笑わせつつ、「老い」「死」というテーマをしんみりと、かつ明るく描き、大御所ロッジ集大成の観がある。