
私が初めての広告を出した日、あれは1990年のことだったと思います。いや1991年か?
友達と3人でお金を出し合い、「医学生が家庭教師やります」の小さな広告を、「サンデー山口」という、山口市ローカルの媒体に出しました。
求人広告ではなく、逆に自分たちを売り込む広告です。
当時、8,000円/回くらいだったでしょうか?学生にとっては大きな出費です。
3人のうちアパートにちゃんとした直通の固定電話を持っていたのは私だけだったので、私の電話番号を広告にのせ、依頼の電話を待ちました。自分の名前が広告に載るのはチョット気恥ずかしく、何となく不思議な気持ちでもありました。
さて、当時は学生が携帯電話を持つことなど考えられない時代で、学校やバイトに行っている間は留守番電話が対応してくれていました。
留守番電話機にセットされたマイクロテープに録音された内容を、時々、ドキドキしながら大学内の公衆電話からリモート操作で聞き取ります。思えば当時最先端のIT機器でした。
一件、二件、と少しずつ依頼が舞い込みます。その内容を友達と検討し、お互いの得意教科に合わせて、あるいは生徒の性格に合わせて3人で割り振っていきました。
とても牧歌的で、懐かしい思い出です。
時は移り、今度は逆に私の方が職員を求めて求人広告を出すようになりました。感慨深いものがあります。
当時とは隔世の感がありますが、いまはネットで求人を出すことが出来ます。もちろんフェイスブックやLINEもつかえば良いのかもしれませんが、まだ私の中のアナクロニズムが「ブログ」、「メール」とささやくので、今回はメール経由での応募オンリーとなっています。
媒体は違いますが、今回の求人に関して2月14日に続いて、本日2回目の求人広告が宇部日報に掲載されました。
新しい出会いと、ちょっぴり寂しい別れ…。そんな季節がもうじきやってきます。
